昭和20年8月15日、終戦。代々木周辺は戦災を受けたものの、神宮の森と代々木駅舎などが被災を免れ、駅周辺にはマーケットが立つようになり、急激に人口も回復しました。とくに食べ物店が目立って増えてきて、代々木駅前はそれまでの住宅地から繁華街へと変貌をとげていきます。
昭和28年には、この地域の子供たちのために、代々木小学校が開設。昭和30年前後、代々木駅から参宮橋に至る間の小田急踏切がガード化され、完全に舗装されると共に、人道、車道の分離も行われました。かってのどろんこ道は、見違えるような舗装道路となったのです。
昭和34年6月15日、代々木一丁目が誕生。
千駄ヶ谷四丁目、五丁目、及び代々木山谷町の各一部が合同し、現在の代々木一丁目が成立し、新たな町内会が発足しました。
昭和37年1月の一丁目人口は、5,301人、1,970世帯。
昭和39年、オリンピック東京大会に備え、町内の下水道整備と水洗化がすすめられ、いち早く、ほとんどの家庭が水洗式となりました。また、高速道路4号線の建設、代々木駅前の拡張整備事業も行われました。
オリンピックを契機として、急速に街の近代化が進みます。新宿駅南口の甲州街道と神宮外苑を結ぶ通称オリンピック道路の整備もあって、幹線道路に面した地域では、商店街が形成され、ビルの高層化が目立つようになります。当時で、地上3階以上の建物が60余戸を数えました(昭和43年調査)。
昭和43年には、明治維新百年を迎え、記念行事が盛大にとり行われました。また、山手線ホームが延長され、新しい駅舎も完成。
現在、代々木には数多くの各種学校が点在しており、文教地区に指定されています。また、東京都の新宿副都心計画により、周辺はますます高層ビル化に拍車がかかっています。
参考文献/写真転載:
明治百年 まちのあゆみ(渋谷区代々木一丁目町会)
わたしたちの渋谷(渋谷区教育委員会)
千駄ヶ谷昔話(渋谷区教育委員会)